「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

成功の秘訣

この瞬間を待っていた…。

大相撲春場所で22日の千秋楽、結びの一番で横綱白鵬を下し初優勝に花を添えた大関稀勢の里。大関昇進後、賜杯まで約5年。“苦労人”が至上の誉れを掴んだ。
14日目に初優勝を決めた大関稀勢の里は、結びの一番で横綱白鵬をすくい投げで破って14勝1敗として初の天皇賜杯を手にし、場所後の横綱昇進も確実にした。日本力士としては19年ぶりの「第72代横綱稀勢の里」の誕生である。

突き刺すような前傾姿勢。白鵬が鬼の形相で寄り立てていく。土俵際、稀勢の里が左浅く差し、その左から叩きつけるように投げ、ずっと立ちふさがってきた第一人者を土俵に沈めた。
「必死の寄りに白鵬の横綱としての意地を見た気がする。それをよく残した。相撲は全然ダメだったけど。」と八角理事長がうなった。「あれだけの寄りを残したんだから稀勢の里は自信になるんじゃないか。白鵬はショックかも知れない。」

「土俵際は必死だった。」と稀勢の里。取組前から白鵬戦の勝敗にかかわらず横綱昇進は確実だった。晴れがましいはずの千秋楽でぶざまな相撲は取れない。まさに意地の逆転勝ちだった。
優勝次点12回。この数字がファンのため息の数を表している。優勝を目前に何度転んでも立ち上がって前進した。「心が弱い」と言われていたことが嘘のように新春の土俵を逞しく駆け抜けた。14日目、優勝を決めた一筋の涙は「針のむしろ」から解放された安堵感が誘ったものだった。

2010年、白鵬の、双葉山の69連勝を目指すカウントダウンが始まる九州場所。2日目に前頭筆頭の稀勢の里は白鵬の連勝の夢を63で粉砕する。相撲史に残る歴史的一番である。13年名古屋場所で、43で白鵬の連勝を止めたのも稀勢の里である。双葉山の連勝を止め、後に横綱に昇進する安芸ノ海と重なる。

師と同じく30歳の声を聞いてからの遅咲き横綱となるが「本当の力が出るのは30から」と初代若乃花がよく言っていた。その荒稽古でなる二所ノ関一門の伝統は、弟子から弟子へと伝えられ体に染みついている。力士同士の馴合いや芸能と相撲の接近を嫌う相撲の本道が、相撲一筋のいちずな稀勢の里には流れている。この日本出身横綱の誕生が、大相撲の醍醐味をもっと高めてくれる予感が漂う。
初土俵から15年。“未完の大器”と呼ばれ続けた稀勢の里は記者会見で「腐らず我慢してよかった」と笑顔を見せた。記者会見に同席した田子ノ浦親方は「人一倍努力しているし弱音を吐かない。その結果が出ている」と讃えた。

優勝インタビューでは「自分の相撲を信じて、もっと強くなりたい」とファンに誓った。「自分の相撲」とは、注文相撲とは無縁の「真っ向勝負」にほかならない。小才の利かない稀勢の里の正直さを尊くも思い、歯がゆくも思っていたのは親方に限ったことではなかったのだが。

「正直者は馬鹿を見る」「羊のように素直に、蛇のように狡猾に」生きることが処世の知恵だというパラダイムに、真っ向から突き当たってその一角を打ち砕いてくれた一人の「大物」に、清々しさと心地よさを感じた。あまりにも正直すぎて、真っ直ぐすぎて、孤塁を保っている姿勢に、周囲に敬意も対抗心もやっかみも抱かせた。ぶれずに媚びずに正直に真っ直ぐ生きていいんだと、そして、時を「待つ」ことも15年の苦節をもって見せてくれたのだ。

「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます。」中学の卒業文集にこう書いた。初心を貫きたどり着いた快挙だった。
『努力のできない天才は凡才であり、努力のできる凡才は天才である。』(小生)

努力したその先の結果は誰にも見えない。一つひとつの日々の結果を直視して改善や修正を施すことを続ける。それが「努力」ということなのではないか。世の中の「成功者」の共通項である。

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