「信じます、君の可能性 伝えます、学ぶ心」  フェニックス アカデミー

今月のコラム 文⁄塾長 大山重憲

2014年10月

幸福と必然

幸運の女神は準備のできた者に微笑みかける―パスツール

9月16日午後5時30分。東京・丸の内「丸ビルホール」には400人余りの聴衆が詰めかけた。そのうち三分の二以上が高校生。四分の一位が中学生。朝日新聞社主催「知と学びのサミット」、二人の講演を聴くためである。

一人は山中伸弥氏。京都大学iPS細胞研究所所長、2012年ノーベル生理学・医学賞受賞。もう一人は安島雄一郎氏。富士通株式会社、世界最速スーパーコンピューター「京」の開発で2014年恩賜発明賞受賞。

それぞれ一時間程の講演の中で、最も印象に残ったのは「幸運なことに…」という二人の共通した言葉だった。iPS細胞という新しい細胞の創造、世界最速のスーパーコンピューターという新しいマシンの創造。その過程は、仮説と予想に反する結果の連続であった。しかし、彼らをしてめげさせるどころか、却って執念ともいえる継続と不断の努力に向かわせたのは、明確なvisionがあったからだ。

山中氏には「再生医療で患者を救いたい」との明確なvision があった。が、それは決して研究者としての道を志した当初からあったわけではなかった。カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所でRobert Mahley 所長からVW(vision & hard work)という研究者としての基本姿勢を植え込まされて、初めて再生医療のvisionを明確に描くようになったのだ。

そしてその後、与えられた目先の研究に没頭していく中で、次第次第にiPS細胞という理想のvisionを描くようになっていったのである。

iPS細胞というあまりにも画期的な創造は、結果から振り返ると、偶然の連続であった。中高生時代の柔道、柔道による足の小指の骨折、整形外科研修医としての限界と挫折、研究者としておこなった国内外での研究と師弟との出会い。それらすべてが幾重にも織りなされて、結果としてiPS 細胞に行きつく。偶然によって描かれたドラマである。山中氏は「自分は幸運だった」と語るが、「幸運の女神は準備のできた者に微笑みかける―パスツール」のだ。決して薄い意味の偶然ではないのである。

山中氏や安島氏の様に人類史上に刻まれる発見発明はこと更に大きくドラマ化されるが、市井に生きる私たちも、実は「偶然と思われる」出会いに満ち満ちている。「偶然と思われる」ことによって生かされている。「あの時のあの事」があって、今があることに気付かされることが多々ある。協賛講演で大島保彦氏(駿台予備学校英語科専任講師)も語っていたが、「今おこなっていることは、あの時のことが役に立っていると思えることがよくある」というのだ。「友人の話。獣医の家内がおこなっている犬の不妊手術。切って、縫っている。ああ、料理と裁縫か。家庭科でやったな」と。人生に無駄はないというが、しかし、一生懸命おこなったことだけが無駄にならないのであって、いい加減にやったことは、身に付かず流れて行ってしまう、ということなのではないかと思う。

自分を生かす、ということはそういうことなのだろう。「天は自ら助くるものを助く」は真理である。

「人のために生きなさい」と亡き母は私が物心ついた時にはよく言っていた。家庭のためより、近隣の人のため、地域社会のために生きた人だった。弟と私はその分、寂しい思いをさせられたが、今振り返ると、会社を創業し、選挙ではうぐいす嬢として声を張り上げ、ロータリークラブの発会のために奔走し、学校ではPTA役員を引き受け、華道、茶道、日本舞踊、絵画、貼り絵、水泳、旅行と、趣味にも多忙な母は、その生き様を見せることが子供達への教育であるという自論を持っていたようにも思える。「勉強しなさい」とは一言も言わなかったが、「人のために生きるには勉強しないとね」と、重い言葉を軽く言ったことは何回かある。今になってその言葉が私の心にずっしり重く沈む。

「肉親を失って人生の第2章が始まる」と、誰かが言っていた。そうかも知れない。魂は宇宙に偏在するという信心は、私の支えになっている。その時は偶然と見えることも、後になって必然だったと思える一つの出来事が、人生の岐路になることがある。今回も、そんな出来事だったろうと思う。

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